東陽片岡さんの「シアワセのイイ気持ち道」に学ぶ

月刊誌「紙の爆弾」で連載されている、「シアワセのイイ気持ち道講座」というイラスト・エッセイが好きで読んでいます。
連載80回を超えているので、既に6年以上も続いている長期連載です。

漫画家 東陽片岡

筆者は漫画家の東陽片岡さん。

スクリーントーンを使わず、生活感のある登場人物や風景をペンでびっしりと描き込む、現代では珍しいタイプの漫画表現を続けられています。

写真からのトレースやハーフトーンの表現といった、PCが普及した現代ならではの漫画表現もリアルでカッコイイかもしれませんが、それらとは対極に位置する漫画家のひとりだと思います。

絵はこんな感じ。

東陽片岡さんはこんな人

昭和33年(1958)生まれ。風俗好き・熟女好き・昭和歌謡好きといったいうことでも知られていて、現在は東京・四谷三丁目のスナック「秋田ぶるうす」でマスターも務められています。

また、風俗好き・熟女好きが高じて熟女風俗のお店を経営されたり、750ccを操るほどのバイク好きだったり、役者として「鉄割アルバトロスケット」という劇団の舞台に立たれていたりと多方面で活躍されています。

「シアワセ」と「イイ気持ち」

東陽さんのお店に来る少し変わったお客さんの話や、お店のトイレ掃除の話、インスタントラーメンの話など、一般的には「シアワセ」でも「イイ気持ち」でもないような日常が綴られています。

しかし、東陽さんの視線を通すとこれらが「シアワセ」になるんです。

参考までに、2016年から2017年までの連載タイトルをまとめてみました。

第60回 「熟女デリヘル店閉店3周年でイイ気持ち」の巻

第61回 「安上がりなシアワセでイイ気持ち」の巻

第62回 「沼めぐりサイクリングでイイ気持ち」の巻

第63回 「気のイイお兄ちゃんでイイ気持ち」の巻

第64回 「五年ぶりのおツーリングでイイ気持ち」の巻

第65回 「テッテー的に目立たない生き方でイイ気持ち」の巻

第66回 「ひたすら国営化でイイ気持ち」の巻

第67回 「ひたすら作られ続けてイイ気持ち」の巻

第68回 「ぜい肉を取ってしこたまイイ気持ち」の巻

第69回 「少しずつ煩悩を開放してイイ気持ち」の巻

第70回 「顔面強打で反省してイイ気持ち」の巻

第71回 「便所を掃除してイイ気持ち」の巻

第72回 「エロ本の復活でイイ気持ち」の巻

第73回 「タバコ、オナニー、オートバイ好きでイイ気持ち」の巻

第74回 「ひたすら寝てイイ気持ち」の巻

第75回 「流行ものに逆らってイイ気持ち」の巻

第76回 「ひたすら静かな世界でイイ気持ち」の巻

第77回 「はかなさに思いを馳せてイイ気持ち」の巻

第78回 「枯れた老人でイイ気持ち」の巻

第79回 「ひとり海水浴でイイ気持ち」の巻

第80回 「ひたすら後悔酒でイイ気持ち」の巻

第81回 「噂の女になってイイ気持ち」の巻

第82回 「あらヨッと風のよーに去って合掌」の巻

第83回 「ちょっとだけウレシくてイイ気持ち」の巻

「閉店3周年」「安上がり」「沼めぐり」「顔面強打」「エロ本」「枯れた老人」などなど、東陽さんの漫画の世界とリンクしたような「シアワセ」でも「イイ気持ち」でもないタイトルが並びます。

「シアワセのイイ気持ち道」

連載されている媒体は、政治や社会情勢といった、世の中の問題がある部分に焦点を当てた記事が多い雑誌ですが、そんな中にあって「外部に責任を求めない」姿勢に好感が持てます。

風俗店経営失敗に続き役所からの差し押さえ、脂肪腫ができたり、自転車の飲酒運転で大ケガしたり、身近な人との別れなど、楽しい話ばかりが書かれているわけではないのに、なぜか清々しく希望が持てる読後感。

また、少し不思議ですが、自己啓発的(?)な文章もたまに見つけることができます。

下記は「第69回「少しずつ煩悩を開放してイイ気持ち」の巻」からの引用です。

 一番大切なのは、自分をビンボー臭くしないつーことであります。身なり、姿勢、動作などがビンボー臭いと、そのうち本物のビンボー神に取り憑かれてしまう気がします。たとえお金がなくてもゆったりと過ごしながら、そのうちなんとかなるだろうと、クレイジー・キャッツ的な心境でいるように心がけてきました。

 

 ただ状況が変わってきたと思われるのは、あえて金持ちがたくさん住んでいる町の安い物件に引越し、出来るだけ笑顔で多くの人と交流するよーにしてきたら、少しずつですが、チャリンチャリンとお金がこちらへ回ってきたことであります。

 

 自分自身の先がまったく見えないのと同じように、世の中もこの先どうなるのかわかりません。ある日突然状況が変わっても慌てずにいられるために、人間は、一度くらいはビンボーのどん底に落ちるのも経験として良いのかもしれません。  いつでも納豆ごはんとのり弁の生活に戻れるよーな、心の準備はデケているつもりであります。

周囲の状況に左右されず平常心を保つ姿勢は、禅や瞑想にも通じる考え方にも思えます。「シアワセ」は自分の中にあるということなのでしょう。

東陽さんのようなものの見方ができれば、「シアワセ」をもっと身近に感じられるのかもしれません。

他にもご紹介したいお話がたくさんありますが、長くなってしまったので、それらはまた改めて書きたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください